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2012年02月08日(水) 05:08 JST
   

次兄の遺書

被害者次兄の遺書です。



: 週刊文春昭和52年10月20日号

: 週刊新潮昭和52年10月20日号

(週刊文春)

私の生きる道はどこにあるのかしら、社会は流れ、私も流されるとしたら、余りにもさみしい夜になるでしょう。あすの社会もきょうの社会も余り変わりはないけれど、私はただ私の社会の中にきょうという日を見つめて生きるのです。そしてまた、私は古いものの中にいつまでもいいところもあることを願いたい。いまを生きるのでしょう。けれどもこれは余りにも遠すぎた夜かしら。すべて終わり、すべては夢だったのね

(週刊新潮)

私の生きる道はどこかしら。社会も流れ、私も流されるとしたら、余りにもさみしい夜になるでしょう。あすの社会も、きょうの社会も余り変わりはないけれど、私はただ、私はただ、私の社会のなかに、きょうという日を見つめて生きるのです。そしてまた、私は古いものの中に、いつまでもいいところもあることを願いたい。いまを生きるのです。けれども、これは余りに遠すぎた夢かしら。すべては終わり、すべては夢だったのね

というわけで微妙に違います。特に、「いまを生きるのです。けれども、これは余りに遠すぎた夢かしら」と「いまを生きるのでしょう。けれどもこれは余りにも遠すぎた夜かしら」ではかなり意味合いが異なる感じです。いずれにしても、女言葉で書かれたこの内容は、33歳の妻子ある男の「遺書」としてはあまりにも異様であることは確かです。「狭山事件を推理する」管理人氏は「これは次姉の遺書にあった言葉の引用ではないか」という推理をしていらっしゃいましたが、そうとでも考えないと説明がつかない内容です。

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