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2012年02月08日(水) 05:05 JST
   

PTA会長

身代金受渡しで重要な役割を演じた人物の一人に、狭山事件フリークの間で通称「PTA会長」と呼ばれている木材販売店主、MH氏がいます。

この人は、被害者が卒業した堀兼中学校で教育振興会会長(生徒が卒業後も会長を務めることができるよう、PTAではなくこう呼んでいた)を務めており、息子が被害者と中学で同級生で生徒会長、被害者が副会長だったことから被害者とも顔見知りでした。



昭和38年5月2日の朝6時に、刑札はPTA会長を呼び出しました。脅迫状を見せて事情を説明した上で

  • さのヤには犬(スピッツ)がいて吠えるので隔離してほしい
  • 捜査の前線基地を設定してほしい
  • 刑札の人員を輸送するのに、刑札の車では目立つので民間の車を提供してほしい
  • 次姉が身代金を持ってさのヤの前に立つことを渋っているので説得してほしい

という4点を依頼し、PTA会長はすべて了承しました。

刑札がPTA会長に白羽の矢を立てたのは、PTA会長が地元の交通安全協会会長もしていて刑札と関係が深かったことが理由とされています。それはともかく、まだ公開捜査になっておらず、公式にはさのヤでの犯人取り逃がしの前である時点で、民間人であるPTA会長に事情を説明して協力を要請している点に疑問を感じる論者は少なくなく、「劇団おまわり」説の状況証拠の一つとされることもあります。現に、PTA会長は刑札を出たその足で被害者の母校の堀兼中学校に向かい、被害者の担任だった教師達と校長に事情を説明して「脅迫状の筆跡を覚えているので卒業生の筆跡を見せてくれ」と頼み、断られています。

PTA会長は、公判で「次姉と父親は、被害者はもう殺されているに違いないと言って泣いてばかりいたのを、自分もそばについているから、と説得してようやく連れ出した」と証言しています。これも「劇団おまわり」説の補強として言及されることがあります。「1日には身代金受渡場所に立った次姉が、2日に泣いて嫌がる理由がない。殺されているに違いないというのは、1日に既に犯人を取り逃がしたからである」という論理です。しかし、これも、20代前半のおにゃのこが1日怖い思いをした翌日、「もうあんな怖いのはヤダ」と言って渋ったり、発見されないまま時間が経ってしまったことで「もう殺されている」と悲観してしまったということで納得できなくはないと思います。父親に関しては確かに疑惑が残りますが。

そして、PTA会長は5月2日深夜、次姉に付き添ってさのヤへと赴きます。PTA会長は戦時中憲兵隊の下士官で、逮捕はお手の物という自信もあり、犯人と次姉が会話しているのに刑官が飛び出さない中で「何度も飛び出そうかと思いながら、もし犯人を取り逃がした場合の責任を考え自制するのに骨折った」と後に述懐していたとのことです。また、事件が起こった後、週刊誌の取材に答えて「2日の夜は犯人を逃がすためにやったとしか思えない」と発言しており、周囲の人に「1日は、脅迫状よりも先に被害者の家に連絡があったと思う」と話していたとも言われています。これらの疑惑から、独自で犯人探しの調査をしていたとも言われています。ただし、これらの情報は亀井トム氏の著作(とそれを参考にしたと思われる下田氏の本)にしか出ておらず、他のソースが今のところ見つかりません。出典をご存じの方はご教示ください。

このPTA会長は、事件の1年ほど後の昭和39年3月15日に、中学校の卒業式で来賓として挨拶するため立ち上がった瞬間に倒れ、そのまま息を引き取りました。亡くなった時にまだ47歳という若さであったことから、「独自の調査をしていたこと、刑札に不利な証言をしかねないことから消されたのではないか」と見る向きもありますが、中学の卒業式という衆人環視の中のできごとで、私(管理人)としては賛同できません。

ところで、PTA会長には兄がいました。この兄の下の名前が「しょうじ」であり、しかも小さい子供がいたので、刑札では当初脅迫状に書いて消されていた「少時様」というのがこの兄ではないかと疑っていたようです。

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