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2012年02月08日(水) 05:09 JST
   

被害者の家族

以下、被害者家族の情報です。生年で(?)がついているのは没年齢や事件当時の年齢などから推定したもので、1年くらいのズレがある可能性がありますがご容赦ください。



被害者の長兄と次姉とぬこ毎日新聞昭和38年6月23日付より 被害者の長兄と次姉とぬこ

  • 父親。明治38年(1905年)生まれ。平成2年(1990年)没。
  • 母親。明治41年(1908年)生まれ(?)。昭和28年(1953年)没。享年45。死因は脳腫瘍。入院して10日前後で急死したこともあり、この死に疑問を感じる人もいる。1933年に嫁入りしてきた翌朝、庭に墓石が投げ込まれていたという話がある。
  • 長女。昭和9年(1934年)生まれ(?)。事件の8~9年ほど前に家を出て東京で働いていた。実家とはほとんど縁を切っており、その後結婚して子供が出来た時も実家に入れてもらえなかった。
  • 長男。昭和12年(1937年)生まれ(?)。ご存命。詳しくは下記。
  • 次女。昭和15年(1940年)生まれ(?)。昭和39年(1964年)没。享年24。自殺だった。詳細は下記。中学卒業後、高校に行かず家業を手伝っていた。さのヤに身代金(に見せかけた包み)を持っていった。
  • 三女。昭和16年(1941年)生まれ。昭和18年(1943年)没。享年3。
  • 次男。昭和19年(1944年)生まれ(?)。昭和52年(1977年)没。享年33。自殺だった。女言葉で書かれた奇妙な遺書を残している。
  • 四女。昭和22年(1947年)5月1日生まれ。昭和38年(1963年)5月1日(?)没。享年16。狭山事件の被害者。
  • 三男。昭和27年(1952年)生まれ(?)。後に他家に養子に出た。

被害者はもともと7人きょうだい(三男四女)でしたが、長兄以外のきょうだいは全員死去するか通常でない形で家を出るかしています。

そのことと、被害者宅が裕福な農家だった(「百万円様」とあだ名されていた。さらに、父親は地区の区長を務めていたこともある)ことから、「被害者の長兄が遺産相続で独り占めをするために他の兄弟を次々と排除していった、その手始めが狭山事件である」という「長兄犯人説」が唱えられています。

この説は、もともとは亀井トム氏が提唱したもので、一時期はほとんど定説になっていました。また、石川さんの裁判においても弁護側が一時期、長兄とは名指ししていませんが身内犯人説(「両墓制」に関する議論など)を石川さん無罪の立証根拠に取り入れるなど、単なる推理にとどまらず社会的にも影響を与えた説になっています。

現在でも、殿岡駿星氏が「狭山事件の真犯人」の中で長兄犯人説(はっきりとそう書いてはいませんが、前後を読むとほぼその内容になっています)を採っています。ただし、例えば、亀井氏が何人かの共犯者(特にOG)を想定していたのに対して、殿岡氏は長兄のほぼ単独の犯行を想定しているなど、両者の説にはいくつかの差異があります。いずれにしても、「狭山事件の推理」の歴史の中で、長兄犯人説はいわば主流派として有力な見解と考えられてきたことは間違いありません。 長兄説の根拠は他にもいくつかあります。

  1. 脅迫状と自転車の発見の経緯が不自然。また、時間的にも長兄が被害者を捜しに行って戻ってからすぐ(10分以内)という絶妙のタイミングで脅迫状が差し込まれており、長兄の自作自演とでも考えないと説明がつかない。
  2. さのヤに犯人が現れた理由として、捕まらない自信があったからではなく、万一捕まってもその場にいておかしくない立場の人間であったからだと考えれば、被害者家族であり、さのヤ近くまで次姉を車で送ってきていた長兄はまさにその立場にある。
  3. 自転車が普段被害者が置いていたのと同じ場所に置かれていた。これは身内の犯行を示唆している。(2009年3月15日注:この点については伊吹本にて「普段は母屋に置いていて、たまに物置に置くこともあったという程度であり、『普段被害者が置いていたのと同じ場所に置かれていた』というのは正しくない」という指摘がありました)
  4. 石川さんの裁判において刑札に迎合し、石川さんを有罪に陥れるような証言をしていた。
  5. 事件発生当時からマスコミに対して聞かれてもいないのにいろいろな推理を披瀝したりなど、哀しみに沈むはずの被害者家族としては怪しい行動が多い
  6. 死体埋没の状況が、身内による犯行を示唆している。(「両墓制」の話、ならびに「頭の上に置かれた石は、掘り出す際にスコップ等で遺体の頭部が損傷するのを防ぐためのものであった。つまり、犯人は葬儀の際に遺体を見なくてはならない身内である」という議論)

特に1.と2.が最も大きな根拠として従来指摘されてきました。

しかし、1.に関しては公式に考えられているよりも実際の事件発覚は早かったと考えられるので、根拠になりえないと思います。ただし、自分が疑われる根拠にされているのを知っていたのにも関わらず、なぜ長兄が公式の時間経過を支持する証言を維持し続けたのか、は謎として残ります。

長兄説のこれ以上の詳細と反論については、例によって「狭山事件を推理する」サイトをご参照ください。私(管理人)としては長兄説には賛同していないことを申し添えます。一番の理由は、当時の農家における家父長の権威の大きさを考えると、遺産相続の問題は殺人に手を染めるには弱いと思うからです。当時の農村のしきたりからいって長兄(家父長権を相続する人)が田畑をすべて相続するのは常識でしたし、もし万一四女である被害者が何か言ったとしても状況が変わったとも思えません。また、遺産相続以外に、被害者が被害者宅の何らかの公にしたくない「秘密」(下記の不倫云々等)を体現しているので、それが他にバレないように殺したという説もありますが、こんな殺人事件になったら、それこそそのような「秘密」を勘ぐられるのは火を見るよりも明らかであり、秀才であった長兄がそれを考えないとも思えません。 また、伊吹本で、被害者宅の畑地はすべて市街化調整区域に指定されており、売り払って現金化することはほぼ不可能であったことも指摘されています。


被害者について。石川一雄さんの裁判において「(被害者は)次姉とは腹違いの姉妹ではなかったか」という話が弁護士から出されています。根拠が示されておらず、前後の脈絡もなくいきなりそういう話が出てきているので、今となっては真偽はおろか質問の意図すらわかりません。ちなみに、被害者宅の兄弟の名前は、次男まで(長女、長男、次女、三女、次男の5人)は共通する文字が使われているのに、被害者(四女)と末弟(三男)だけ全く系統の違う名前がつけられています。末弟が後で他家に養子に出されていること、末弟が生まれた1年後に母親が急死していることと併せて、そのあたりに何らかの事情があったのではないかと勘ぐることは可能です。 2ちゃんねるなどでは、「被害者と三男は母親が不倫して出来た子供で、母親の「急死」はそれをとがめられてのこと。被害者が狭山事件で殺されたのは、その家族の秘密を守るためである」という推理もありました。ただし、それだと「種違い」という表現になるべきで、なぜ「腹違い」という話が裁判という公的な場所で出てきたのかは、今もって不明です。

長女と次女は中学卒で家の手伝いに入り、長男と次男は高校卒でした。特に長男は中学時代学年トップの秀才だったにもかかわらず「百姓に学問はいらない」という父親の考えで大学に行かせてもらえなかったという話があります。それに対して四女(被害者)は高校(実際には専修学校扱いで高卒の資格は取得できない学校でしたが)に行かせてもらい、三男(末弟)は大学も出ています。それが時代の移り変わりによるものなのか、あるいはやはり被害者と末弟は家族の中でも別の扱いだったからなのかについては不明です。いずれにしても、一般論として昭和30~40年代に進学率が大幅にアップしたのは事実であり、これをもって四女と三男が家族の中で別扱いだったという根拠にすることは難しいと思います。参考として、文部科学省による大学進学率のデータを挙げておきます。

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