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2012年02月08日(水) 05:10 JST
   

次姉

被害者の次姉は、身代金受渡しの際に犯人と直接会話をするなど、この事件で重要な役割を果たしています。

次姉は長兄の中学時代の同級生と婚約しており、事件の1年後に入籍していました。しかし、その数ヶ月後、石川さんに一審で死刑判決が出た直後からノイローゼになり(医師が正式にノイローゼと診断しています)、ほどなくして自殺しました。ただし、「となりのトトロ」の都市伝説で 言われているような、「妹を捜して必死に歩き回っていた」とか「『猫のお化け』『大きな狸に会った』などの意味不明な証言ばかりしていた」という事実はありません。



次姉の自殺の理由は「次姉は佐野屋での会話等から真犯人を知っており、冤罪である石川さんに死刑判決が出たことを気に病んで自殺した」と推測されることが多いと思います。しかし、こちらの写真(石川さん逮捕直後の写真)を見る限りではそういった屈託は感じられないことから、私(管理人)はその説には懐疑的です。 また、次姉の「夫」が石川さんの裁判で「妻」である次姉の葬式には呼ばれなかったと証言し、突っ込まれるとあやふやな証言を繰り返したあげくに「嘘はつけ ないから」と言って口をつぐんでしまったことから、次姉の死の背後にも何か隠されていることがあるのではないかという推測もあります。次姉のお墓はこの「夫」の姓になっていますが、実家(被害者宅)の墓所に建てられています。

「夫」であるのに葬式に呼ばれなかったことや、次姉墓が実家である被害者家の墓地にあることから、「夫」の家と被害者家に何らかの確執があったのではないかと見る向きもあります。しかし、伊吹本によると「夫」の家にも次姉の墓はあるとのことです。また、別の証拠(登録ユーザ限定とさせていただいています)から見ても、そういった確執があった可能性はほとんどないと考えます。


石川一雄さんの裁判において「(被害者は)次姉とは腹違いの姉妹ではなかったか」という話が弁護士から出されています。根拠が示されておらず、前後の脈絡もなくいきなりそういう話が出てきているので、今となっては真偽はおろか質問の意図すらわかりません。

ただし、この点に関しては、「狭山事件を推理する」サイト管理人氏より根拠が薄い「荻原文書」、ならびにそれを元ネタにした亀井トム氏の言説を弁護団が取り入れてしまった結果であろうという話が出ています。おそらくはその推測は当たっているものと思います。

末弟が生まれた時に母親は44歳でした。現在の基準で見ても相当な高齢出産であり、「腹違い」という可能性は確かにありうる話です。また、被害者宅の兄弟の名前は、次男まで(長女、長男、次女、三女、次男の5人)は共通する文字が使われているのに、被害者(四女)と末弟(三男)だけ全く系統の違う名 前がつけられています。末弟が後で他家に養子に出されていること、末弟が生まれた1年後に母親が急死していることと併せて、そのあたりに何らかの事情が あったのではないかと勘ぐることは可能です。

2ちゃんねるなどでは、「被害者と三男は母親が不倫して出来た子供で、母親の「急死」はそれをとがめられてのこと。被害者が狭山事件で殺されたのは、その 家族の秘密を守るためである」という推理もありました。ただし、それだと「種違い」という表現になるべきで、なぜ「腹違い」という話が裁判という公的な場 所で出てきたのかは、今もって不明です。

長女と次女は中学卒で家の手伝いに入り、長男と次男は高校卒でした。特に長男は中学時代学年トップの秀才だったにもかかわらず「百姓に学問はいらな い」という父親の考えで大学に行かせてもらえなかったという話があります。それに対して四女(被害者)は高校(実際には専修学校扱いで高卒の資格は取得で きない学校でしたが)に行かせてもらい、三男(末弟)は大学も出ています。それが時代の移り変わりによるものなのか、あるいはやはり被害者と末弟は家族の 中でも別の扱いだったからなのかについては不明です。いずれにしても、一般論として昭和30~40年代に進学率が大幅にアップしたのは事実であり、これを もって四女と三男が家族の中で別扱いだったという根拠にすることは難しいと思います。参考として、文部科学省による大学進学率のデータを挙げておきます。


以下、石川一雄さんの裁判における「夫」本人の証言に基づく、次姉の「夫」に関する情報です。

  • 次姉と見合いしたのは昭和38年の秋頃(月日は明確になっていないが狭山事件(昭和38年5月1日)が起こった後:『史上最大のミステリーを推理せよ!狭山事件』では「見合いは(被害者)さんが殺される以前にしたものだった」となっていますが、「夫」本人の証言では事件の後の秋頃ということになっています)
  • 次姉と入籍したのは昭和38年の年末。理由は、勤務先(米軍基地)のボーナスや税金面で扶養家族が増えると有利になるから
  • 入籍した後も同居はしていなかった。理由は、被害者宅(次姉宅)に女手がなかったから
  • 狭山事件被害者のことは知らない
  • 狭山事件当時は次姉と婚約的な関係にはなかった
  • 次姉と結婚しようという話になったのは、自分(「夫」)の妹が被害者宅のそばにあるN家(被害者宅と同じ苗字だが親類かどうかはわからない)に嫁に行っていて、その関係で見合いして話が進んだ
  • 次姉のことは見合いする以前から知っていた。同じ村(隣の部落、7~800mほどの距離)で、年齢も二つしか違わないし、学校も同じで長兄とも同級だった
  • 次姉とは月に1回か2回くらい会っていた
  • 次姉とは肉体関係はあった
  • 被害者一家とは親類としての付き合いはまだなかった
  • 昭和39年7月14日に次姉は「自殺」したが、その1週間ほど前に次姉と会った時には特に悩んでいるように感じなかった
  • 昭和39年7月20日、「おてんのうさま」で次姉が家に来ることになっていた
  • 葬式はあったのかなかったのかも知らない。自分は行っていない
  • 被害者宅から線香をあげに来てくれと言う話もなかった
  • 次姉の死亡理由は知らない。呼ばれて行った時にはもう亡くなっていた。「聞いたことは聞いたんだけれども、よくわかりません」「どういうことから亡くなったという原因などは全然聞きませんでしたね」
  • 遺書には、「ぼくのことが書いてあって幸せになって下さいということが書いてありました」。しかし、その遺書は今は持っていない
  • 証言するにあたって、裁判所の呼出し状が来たが出頭したくないので何回か断った。そうしたら裁判所から電話が来て出頭してくれということで出頭した
  • 裁判所に来る直前に刑札官が来た。20分ほど家にいたが、住所と名前を確認しただけでさつき(植物)の育て方について話をしただけだった
  • 次姉の死後、昭和40年5月に別の女性と再婚した

というわけで、「知らない」「わからない」の連発な上に、戸籍上だけでも「妻」だった女性が死んだことについてあまりにも無責任な感じが否めませ ん。このやりとりの途中で、傍聴席から「(次姉の)お墓は「Y」(「夫」の苗字)になっていますよ!」というヤジが飛んだとのことで、その気持ちもよくわ かります。 2ちゃんなどではこの「夫」を疑う向きもありますが、これまで出版された本では「夫」に疑いを向けた書籍は(私が知る限り)ないようです。

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